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東京散歩~世田谷編~ | okaryo.log

東京散歩~世田谷編~

    #散歩#東京都#世田谷

はじめに

先月末、皇居外苑を歩いた。

次はどこを歩こうかと地図を見ながら考えていると、世田谷に松陰神社があるのを見つけた。また、その近くの豪徳寺には安政の大獄で吉田松蔭を死に追いやった井伊直弼の墓もある。自分は幕末維新が好きで吉田松陰はその中でもかなり好きだし、井伊直弼に関しては皇居外苑を歩いた際に桜田門を見ているので前回との繋がりを感じる。また、幕末において死に追いやった者と追いやられた者が近くに祀られているのも面白い。

そんな感じで世田谷に興味を惹かれ、歩いてみることにした。

歩いたルート

今回歩いた道は以下。東急世田谷線の宮の坂駅を出発点として、豪徳寺、世田谷八幡宮、勝光院、郷土資料館を巡りながら、最後に松陰神社に行った。

歩いたルート

自分は大学時代の前半で世田谷に住んでいたが、今回向かう豪徳寺の周辺は全く知らなかったので改めて世田谷区の全体を確認してみた。

かなり広く、南は神奈川県に隣接している。自分が住んでいたのは代田橋・明大前のあたりだが、その辺りは世田谷でも北東の端っこなんだと今さら気づいた。今回向かうのは世田谷区の中の中央部にあたる。

世田谷区

世田谷散歩

宮の坂駅

下高井戸から東急世田谷線に乗り換えて、13時ごろに宮の坂駅に着いた。

東急世田谷線は世田谷の中央を通っている割に2両しかなく、駅には改札もなく無人駅で、ICタッチ用の機械だけ置かれていて素朴な風景だった。これで世田谷の中央を走っていて大丈夫なのか?

東急世田谷線

駅には地図が掲載されており、かなり見どころは多そうだった。

世田谷区地図

豪徳寺

まずは豪徳寺に向かった。駅から歩いて数分で着いた。

豪徳寺参道

参道を抜けると山門がある。パンフレットによると、扁額には「碧雲関」と書かれており、「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味するらしい。

豪徳寺山門

境内に入ると三重塔と仏殿があり、それらの横に大量の招き猫が置かれている招福殿がある。参詣者が奉納したものらしく、建物の裏にもたくさん置かれていた。

観光スポットらしく、外国人やインスタグラマーっぽい人たちも多かった。

近くにいたおばさんたちが話していたが、招き猫で右手を上げているものはお金を、左手を上げているものは人を招くらしい。ということはここにいるたくさんの猫たちは右手を上げているものばかりなので、途端にいやらしくに見えてきてしまった。

豪徳寺猫

招福殿の裏から回ると本堂へ出た。中を見ることはできなかったが、寺宝の井伊直弼肖像画が飾られているらしい。

豪徳寺本堂

本堂横の売店に入ってみると、招き猫も販売しているらしいが完売になっていた。「SORRY ALL CATS SOLD OUT」がジワジワくる。

豪徳寺売り切れ

最後に境内の隅っこにある井伊家墓所に行ってみた。豪徳寺は彦根藩主である井伊家の江戸における菩提寺であり、歴代藩主や正室たちのお墓があり、井伊直弼の墓もそこにある。

先ほどまでと違って人はほとんどいなかったため静かで雰囲気のある場所だった。一番奥に井伊直弼の墓があった。

井伊直弼の墓

世田谷八幡宮

豪徳寺を出た後は、東急世田谷線を挟んですぐ反対側にある世田谷八幡宮に向かった。

源義家が奥州からの帰路、宇佐八幡をこの地に勧請したのが始まりらしい。

世田谷八幡1

本殿の中には江戸後期に建てられた木造の社殿が静まっているとのこと。

ちなみに世田谷八幡宮のホームページのURLはhttps://80000.or.jp/で、なかなか迫力がある。

世田谷八幡2

境内には土俵もあった。江戸時代から続く「江戸三相撲」として秋季大祭で奉納相撲が行われているとのこと。

世田谷八幡3

勝光院

世田谷八幡宮からまっすぐ南に降っていくと、世田谷の真ん中にあるとは思えない風雅な竹林のあるお寺がある。

室町時代の頃から世田谷地域を支配していた吉良氏の菩提寺である勝光院。

勝光院

入り口手前の墓地には吉良氏歴代の墓所もある。

吉良氏墓地

ボロ市

勝光院を出てさらに南へ下り世田谷通りに出ると、かなり人が多い。

行きの電車で知ったが、どうやら今日は年に12月と1月だけやっているボロ市があるらしい。

ボロ市ポスター

歴史としては戦国時代の楽市が始まりらしく、明治時代に古着の扱いが多くなってボロ市の名前が定着したらしい。

古着以外にも食べ物、コーヒー、手作りの雑貨類、など様々なものが売られていた。

ボロ市

世田谷区立郷土資料館・代官屋敷

人混みを避けながら世田谷区立郷土資料館に来た。

世田谷地域にまつわる歴史や民俗資料が旧石器時代から現代まで時代ごとに展示がされていた。特に中近世における支配者の変遷や、近世から近代にかけて農村だった世田谷が東京の都市化とともに電車が通り団地ができたりと段々と街へと成長していく様子は地域の色を感じがして面白かった。

世田谷区立郷土資料館

資料館の敷地内には、彦根藩世田谷領の代官を世襲した大場家の屋敷が残っている。江戸中期の建築で、重要文化財。

代官屋敷

松陰神社

ボロ市通りから世田谷通りに戻ってしばらく東へ向かった後、駒中通りを北へ向かう。

しばらくすると松陰神社が見えてきた。

松陰神社鳥居

吉田松陰が安政の大獄で刑死した後、高杉晋作や伊藤博文らによって長州藩主別邸だったこの地に改葬されたとのこと。

境内には伊藤博文や山縣有朋らが寄進した灯籠や、木戸孝允が奉納した鳥居などがあり、吉田松陰が門下生に慕われていたことが伝わってくる。

松陰神社

拝殿の裏手には吉田松陰とその他幕末で散っていった志士たちの墓がある。墓所内の紅葉が真っ赤に色づいており、今なお彼らの闘魂が残っているような感じがした。

松蔭墓地

また、萩にある松下村塾のレプリカも境内に建てられている。建築当時は全ての材料を萩から調達したらしい。

松下村塾

おわり

世田谷は一応大学時代住んでいた区ではあるが、まだまだ知らない場所がたくさんあった。

今度はどこを歩こう。


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