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東京散歩~皇居外苑編~

    #散歩#東京都#皇居外苑

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はじめに

棟方志功展が12月3日(日)で終了する。棟方志功のことは今年の夏の東北旅行前に読んだ司馬遼太郎の『街道をゆく 北のまほろば』で気になっており、実際に青森を訪れた際に棟方志功記念館に行こうとしたら閉館日だったのが心残りとしてあり、これは見ておこうと思って行くことにした。

調べてみると展覧会のある東京国立近代美術館は皇居のすぐ近くにあり、ついでに皇居周辺を歩いておこうと思い立った。

歩いたルート

今回歩いた道は以下。桜田門駅から出発して、皇居外苑内・周辺の気になるスポットを見てから東京国立近代美術館に向かい、最後は九段下駅をゴールとする。

ルート

皇居外苑散歩

桜田門

12時ごろに有楽町線の桜田門駅に到着し、3番出口から外に出た。出てすぐのところに桜田門(正確には外桜田門の高麗門)があり、ここが有名な桜田門外ノ変があったところ。

桜田門

近くは中央官庁関連の庁舎がたくさんあり、奥の方には国会議事堂の頭も見えた。

国会議事堂

皇居外苑

桜田門を抜けて皇居外苑に入ると、ビル群の中にかなり広い公園があるというアンバランスな空間があった。

外国人の姿も多く見られ、観光地の一つなんだと伝わってくる。また、警察官も多くいて特殊な場所であることを実感した。

皇居外苑

二重橋

まずはよく皇居の写真で見る二重橋にやってきた。

手前に見えるのが正門石橋、奥に見えるのが正門鉄橋で、さらに奥には数少ない現存する江戸城の櫓の一つである伏見櫓。二重橋という名前は、かつて木製だった正門鉄橋の下に橋桁を支えるもう一つの橋があったために呼ばれているらしいが、正門石橋と正門鉄橋の2つをまとめて二重橋と呼ぶ人もいるらしい。

二重橋

楠木正成像

皇居外苑の隅っこの方まで歩くと、南朝で活躍した楠木正成像がある。上野の西郷隆盛像と同じく高村光雲による作品。かなりかっこいい。

近くに茶屋があってHOTの抹茶入り煎茶を注文し、近くのベンチで飲んだ。注文した後に気づいたが紙コップの煎茶が500円もした!観光地価格が身近な東京にもあるとは油断した。

楠木正成像

東京駅

お茶を飲んで休憩した後、皇居外苑の中央を南北に通る内堀通りを北に登っていく。次の目的地は平将門の首塚。

通りに沿って歩いていると、東京駅を見通せるイチョウ並木の通りに出た。東京駅の外へはあまり出たことがなかったので、駅から皇居がこんなに近いとは驚きだった。

東京駅

平将門の首塚

さらに北へ歩いていく。周りは真上を見ないと上が見えないほどの高層ビル群で、こんなところに本当に首塚があるのかと半信半疑だったが近くになってくると線香の匂いが漂ってきた。

ビル群の中に本当に首塚はあり、10人ほど人がいて観光スポットなのだと分かる。首塚がどういう宗教的な意味合いを持っているのか知らないが、神社のように敷地内に入る際に一礼したり、墓石の前で柏手を打って何かを祈っている人が何人かいた。自分も敷地内に入って中の解説看板を読んだりしたが、そこまでの覚悟を持って来てはいなかったので墓石の前までは気分的に行けなかった。

平将門の首塚

箱根駅伝絆の像

首塚のある通りを東に歩いてすぐのところに箱根駅伝のゴール地点である読売新聞社があり、絆の像と歴代優勝校の銘板がある。

ここがゴール地点かと感慨にふけりながら、皇居近くであることもあってこの辺りの道路は日本で一番交通規制されている道路なんじゃないかとも思った。

駅伝像

大手門

再び皇居の方に戻り、江戸城跡の皇居東外苑に大手門から入ることにした。大手門の手前ではディズニーランドのような鞄の中身を見せるだけの手荷物検査があった。

検査の順番を待っている際に何気なく地図を見ると近くに大手町駅があった。東京の大手町はこの大手門から来ていることにそのとき初めて気づいた。数年前に大手門と大井町を間違えてイベントに遅刻したことがあったが今後は大丈夫そうだ。

大手門

江戸城跡

江戸城は築城の名人と言われた太田道灌が元禄元年である1457年に築城したもので、その後徳川家康から始まる江戸幕府の政庁となり、幕府瓦解後は京都から天皇家がやって来るというかなり面白い変遷がある。

苑内には江戸城の遺構である櫓や門、石垣などいくつか残っており、果樹や花などたくさんの植物も植えられていて賑やかだった。

写真は天守台。

江戸城跡

天守台の上からは当時の江戸城本丸御殿図と今の景色を見比べることができるが、当時を思わせるものは何も残っておらず、遠くには現代的な高層ビルが立ち並び、たった100数年でここまで変わるのかと諸行無常を感じた。

江戸城跡からの景色

乾通り

当初は東外苑の北側にある北桔橋門を抜けてそのまま東京国立近代美術館に向かおうとしていたが、どうやら11月25日(土)から12月3日(日)までの9日間は皇居乾通りの一般公開をやっているらしく、せっかくなので行ってみることにした。これがあるから今日は警察が多かったのか。

再び大手門を通って皇居前広場をぐるっと回り乾通りに向かうためのレーンに入る。乾通りには皇居宮殿もあるので当たり前だが手荷物検査とセキュリティチェックがある。鞄の中に飲みかけのペットボトルがあったので、手荷物検査のときに警察官の前で一口飲んで安全であることを見せる必要があった。

検査自体はすぐ終わり、坂下門から乾通りに入った。

坂下門

乾通りを進んでいくと皇居宮殿が少しだけ見えた。家の前をこんなにたくさんの人に通られたら大変そうだ。

皇居宮殿

宮殿のすぐ横には宮内庁庁舎があり、こんなところにあったのか。職員は出勤のとき気が張って大変そうだ。

宮内庁

どうして乾通りの一般公開をするのだろうと思っていたが、皇居内のモミジやカエデの紅葉を楽しんでもらうためらしい。実際すごく景色が良かった。

もっと人がごった返しているかと思ったがそれほどではなく、しばらく歩くと乾門に着いた。

乾門

東京国立近代美術館

乾門を出て代官町通りを東へ向かうと今回の目的である東京国立近代美術館に到着。時間は15時前。

さっそく目当ての棟方志功展のチケットを購入して中に入った。大人一枚1,800円。

展覧会は最終日が近いためか結構人がいた。

愚痴をひとつ。今回からはちゃんとメモを取ろうと思ってメモ帳と鉛筆を持ってきた。メモを取る際は展示から離れて人のいないスペースのあるところ、それも監視員の目に入るところでとっていたが、毎回「それは何で書かれていますか?」「鉛筆です」「失礼しました」のやり取りが発生して面倒すぎた。正直自分は感内の筆記具としてボールペンやシャーペンがダメで鉛筆がOKな理由がしっくり来てないし、むしろ鉛筆の方がダメだと思っているし、監視員も監視員で柔軟性がないし、謎ルールと面倒なやり取りに嫌気が刺した。紙へのメモは諦めて今後はスマホにメモを取るように決めた。

美術館

この展覧会では条件の範囲内であれば写真撮影とブログやSNSへの掲載が大丈夫とのことだったので一枚だけ載せておく。以下はその条件の一つであるハッシュタグ。

#棟方志功展 #メイキング・オブ・ムナカタ

棟方志功はゴッホのひまわりを見て油絵を始め、その後版画(棟方は板画と言った)の世界へ移っていったわけだが、晩年にはついにゴッホのひまわりと一体化していた。

棟方志功

棟方志功は「世界のムナカタ」としてテレビにもよく出ており、展覧会の最後にその映像が流れていたが本当に芸術肌の人なんだと思わされた。近視のため板のすぐ近くに顔を寄せながら彫っていく様や下絵を流れるように描いていく様は本物を感じた。

正直自分は芸術は分からないので美術作品の見方は未だに分かっていないが、作品よりもその背景、柳宗悦と民藝運動との合流や日本神話や仏教との触れ合いとインスピレーション、故郷である青森とのつながりといった部分や、それらが作品にどう表れているのかといったところを楽しんだ。

ショップではいつもの通りしおりを購入。

お土産

17時過ぎに退館して帰路についた。

おわり

東京に住み始めてからもうすぐ10年くらいになるが、皇居外苑を歩いたのは初めてだった。東京の中心でありビル群の中にありながら自然と安らぎがある異質な空間だった。

まだまだ歩いていない東京の街はたくさんあり、今後も少しずつ東京の街を踏破していきたい。


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