東京散歩~赤坂編~
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はじめに
今年の夏に東北旅行をした。その旅行の前に司馬遼太郎の『街道をゆく』で予習をしていたが、その中に赤坂散歩という章があった。
東京に住み始めて10年が経とうとしているが、東京、しかも赤坂においてさえこれだけ由緒のある名所がたくさんあったのかと灯台下暗しの思いだった。
いつか東京の各地を自分も歩いて見て回ってみようと思っていたところ、最近民俗学に興味を持ちいろんな本を読んでいた。民俗学が扱うテーマには自分も含めた生活の至るところにあり、自分自身でそれらに触れてみたいと思い散歩でもしようと思った。ちょうど良いと思い、『街道をゆく』にならってまずは赤坂を散歩してみようと思い立った。
余談だが今回の赤坂散歩をするにあたり、情報収集のために『東京散歩地図』という本も読んだ。東京の散歩コースを地図と写真付きで解説しており、赤坂の地を歩いたことがない自分にとっても地図を頭にインプットできたし、赤坂以外の地域のコースもたくさん紹介しているので今後の東京散歩の際の参考にしたい。
というわけで赤坂を散歩してきた。
赤坂散歩
溜池山王
司馬遼太郎の赤坂散歩の出発点がここだったのでそれにあやかって自分もここから歩き始めることにした。自分は幕末維新や明治の時代が好きなのでそれにまつわる名所を中心に見て回りたい。
昼過ぎに溜池山王池に到着し、溜池交差点に出た。
交差点の端に溜池発祥の碑がある。
当時は江戸城の防備と上水道として作られた溜池があり、不忍池に並ぶ名所であったそうだが今は埋め立てられて一滴の水もない。
氷川神社
溜池交差点の道をしばらく西へ進んで北の住宅地に入ると老人ホームと中校生プラザのある建物の脇に勝海舟と坂本龍馬の指定像がある。
ここは元々勝海舟の屋敷があったところで、そのあとは氷川小学校に、それが廃校になった後は今の老人ホームと中高生プラザが建っている。
近くには氷川小学校跡の碑もあった。司馬遼太郎の赤坂散歩では小学校はまだあったはずだと思ったら、閉校は1993年で、赤坂散歩を含む箇所の『街道をゆく』の連載は1988~1989年らしい。司馬遼太郎が書いた当時とは30年の隔たりあることを改めて感じた。
そこからさらに西へ進むと住宅街の真ん中に氷川神社があった。
本殿からは雅楽の演奏が聞こえてきており、なんだろうと思っていると神前式の結婚式が行われていた。一般客の参拝はできるみたいだったが、流石に参拝の柏手は小さめにしておいた。
本殿の脇には縁結び用のおしゃれな建物が別で建てられていた。目の前で挙げられている結婚式を見て羨ましくなったので自分もお願いを書いて結んでおいた。
境内ではかなり見応えのある山車が展示されていた。江戸では山車は祭りの華として祭礼の際に新領内を巡行していたらしい。
神社を出て西側の脇を通ると本氷川坂がある。かなりグネグネと曲がりくねった坂だった。
檜町公園
乃木神社へ向かう途中、檜町公園に寄ってみた。
ここは毛利家下屋敷があったところらしく、公園内には庭園があった。高層ビルと日本庭園のアンバランスさが不思議な空間を生み出していた。
乃木神社
公園を出て北へ進み、赤坂通りに出て西へ進むと乃木坂の碑がある。元々は幽霊坂と呼ばれていたらしい。
碑の近くに乃木神社があった。言わずと知れた乃木大将を祀る神社だが、今年で創建から100年を迎えるらしい。
ここでも結婚式が挙げられており、今日だけで4件あるらしい。
本殿近くに宝物殿があり、展示品の数は少ないが殉死の日に明けられたワイン瓶や遺書、殉死に使われた刀など想像以上のものが展示されていて驚いた。
境内横には旧乃木邸がある。建物の外からしか見学はできないが、殉死の時の部屋も残っており息を呑んだ。亡くなった場所が残っていて、その横で神として祀られている神社があり、なんとも言えない不思議な感じがした。
邸宅は思っていたより質素で意外だった。敷地内には厩や井戸もある。当時の建物の雰囲気を知れてかなり良かった。
後から知ったが、乃木神社のすぐ近くにはジャニーズ事務所があるらしい。一目目てみたかった。
高橋是清翁記念公園
乃木神社を出て北へ行くと、小さな公園があり中は日本庭園風になっている。公園の名前は「高橋是清翁記念公園」。
ここは江戸時代は青山氏の屋敷があり、明治政府に上地された後に高橋是清が住んでいたという。確かに公園の西側には青山一丁目駅があり、青山の地であることがわかる。
公園内に入ると奥の方に老人姿の高橋是清像がある。こじんまりとしており、優しそうな印象が伝わってくる。
二・二六事件の際はこの地で殺害されている。司馬遼太郎は赤坂散歩の中で高橋是清のことを「明治国家と明治憲法を守ろうとした最後の人」と書いていたのを覚えている。
豊川稲荷
公園から東へ少し歩くと豊川稲荷がある。「稲荷」ではあるがお寺。
豊川稲荷の本院は愛知県豊川市にある方で、こちらは別院。徳川吉宗期の名奉行、大岡越前守忠相公が領地の三河に古くから伝わる豊川稲荷を日常的に信仰されていたことから別院となっていったらしい。
境内には建物が密集していて確かにお寺感がある。けっこう参拝客が多かった。
日枝神社
豊川稲荷から赤坂見附の方を回って再び溜池山王方面に向かう途中に日枝神社(ひえ、と読む)がある。鳥居の上部に破風が乗っているのが特徴的で、山王鳥居や、合掌している形から合掌鳥居と呼ばれている。
江戸城築城の際に裏鬼門の護りとして祀られたこの神社はもともと山王権現という名前だったが、明治時代の神仏分離によって日枝神社という名前になったらしい。
階段を登って境内に入ると周りに高層ビルが見えて、都会の中の異質な神聖空間のような感じがした。
また、ここでも結婚式が執り行われており、今日だけで3件の結婚式に遭遇した。
裏の方にある稲荷参道には見事な千本鳥居もあった。
日枝神社は溜池山王駅のすぐ北にあり、散歩ルートとしては最初にここを訪れるべきだった。
赤坂見附跡
再び赤坂見附方面へ向かう。
交差点の東側にある歩道橋を渡ると赤坂見附跡があり、江戸城外郭門の1つである赤坂御門の石垣が残っている。
「見附」とは江戸城外郭において敵を見つけるための施設のことらしく、赤坂見附や四谷見附とは当時の言葉がそのまま残っているんだろう。
石垣はかなり大きい。
弁慶濠・弁慶橋
赤坂見附跡の石垣を見れるところからは弁慶濠と弁慶橋を臨むことができる。
江戸城の南側の外堀のほとんどは埋められてしまったが、ここはまだ残っている。
弁慶橋の近くに紀伊和歌山徳川家屋敷跡の碑がひっそりと立っている。
この辺りは紀尾井町と呼ばれているが、その名前は当時この地域に紀伊徳川家、尾張徳川家、彦根井伊家があったことが由来となっている。
弁慶濠に沿って北へ歩いていく。濠の大きさにも驚いたが、側に立つホテルニューオータニの立派さにも驚いた。いつか宿泊してみたい。
迎賓館赤坂離宮
迎賓館の塀に沿って北へ歩くと迎賓館赤坂離宮の正門がある。ちょうどそのあたりで港区から新宿区に入る。
迎賓館も入ってみたかったが、ちょうど9月30日~10月7日の間は休館をしていて入れなかった。外から見るしかなかったが、門の装飾も見事だし、中の庭園や迎賓館も素晴らしそうだった。また今度リベンジしたい。
新宿歴史博物館
ここから四谷三丁目の方まで歩き、新宿歴史博物館に行ってみた。到着した時間は16時半ごろ、17時半が閉館だったので常設展だけ見ることに。料金は300円。
新宿で発掘された縄文土器から、中世、江戸、近代文学、昭和、戦後など新宿を中心としたものを展示・解説していて面白かった。江戸~昭和期の展示が充実していて、当時の新宿の様子やその変遷、現代との違いを知れて思いの外充実した内容だった。
写真は昭和期に新宿を走っていた市電。
閉館時間近くに博物館を出て、曙橋駅から帰路に着いた。
おわり
実際に自分で歩いてみると赤坂においてさえ名所がたくさんあることを実感できた。
ほとんど電車の乗り換えなどでしか利用したことがなかった赤坂だが、観光という目的で利用してみると軽い小旅行をしたような気分になれるほど名所が充実していた。
東京にはこれ以外にもたくさんの名所を持つたくさんの地域があることを考えるとワクワクしてくる。今後も機会を見つけて東京を歩いて回りたい。