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東北旅行2023年夏4日目~盛岡・平泉編~ | okaryo.log

東北旅行2023年夏4日目~盛岡・平泉編~

    #旅行#東北#岩手県#盛岡#平泉

旅の記録

4日目

盛岡へ

6時半ごろに起床して朝風呂に入り、7時過ぎには健康ランドを出発した。今日は午前は盛岡、午後は平泉に行く予定。

7時半すぎの新幹線に乗り、盛岡へ向かった。盛岡へは1時間ほどで到着した。

この日は岩手大学のオープンキャンパスがあるようで、駅には高校生がチラホラいた。

盛岡駅

盛岡城跡

喫茶店で朝食を済ませ出発した。盛岡駅から東に15分ほど歩くと盛岡城跡公園に着いた。

盛岡城にはそもそも天守閣がないが、他の櫓等も残っておらず石垣だけがあった。唯一本丸には何かの台座があり、解説を読むと盛岡藩主の子孫で日清戦争で戦死した南部利祥の銅像があったらしい。しかし、太平洋戦争時の金属供出され、復元されることもなく台座だけが残っているとのことだ。

何もない盛岡城跡だが、歴史的建造物復元への取り組みもあるようで、当時の盛岡城の写真や資料に対して報奨金を出して収集を行なっているらしい。最高1,000万円でかなり本格的に取り組んでいるようだ。

台座

もりおか歴史文化館

次に盛岡城跡公園内にはある「もりおか歴史文化館」に向かった。

もりおか歴史文化館

1階の常設展は無料で見ることができ、チャグチャグ馬コとさんさ踊りという盛岡市の祭りを展示と動画で知ることができた。

2階の展示室からは有料で300円。盛岡の歴史と文化を扱っていた。

最初に東北の年表があって大まかな歴史の流れを掴むことができたが、その次の展示にあった盛岡藩領の大きさには驚いた。南は花巻あたりから北は下北半島までがその領域で、後の展示で解説されていたが行政制度も工夫していたらしい。

盛岡藩領

なんと黒田官兵衛の兜が展示されていた。時代の中で巡り巡って盛岡までやってきたらしい。

また、近代の盛岡の展示では大正時代の盛岡の映像があって当時の暮らしや文化を生に近い状態で見ることができてとても面白かった。

盛岡鎧

石割桜

歴史文化館を出て県庁を回るルートで駅に向かった。

途中、裁判所の中に石割桜を見つけた。岩の割れ目から生えており、樹齢は300年を越すらしい立派な桜だった。

石割桜

市内を南北に流れる北上川。開運橋から北を見ると岩手山まで見通すことができた。東北の街には象徴的な山が多い。弘前の岩木山、青森の八甲田山、盛岡の岩手山。

北上川

盛岡冷麺

お昼に盛岡駅地下にある寿々苑で盛岡冷麺を食べた。

店の前にはすでに待機列ができており20分ほど並んだ。待つ間、盛岡冷麺の歴史について調べたが発祥は韓国のようで、昭和29年に移住してきた方が盛岡で食堂を開いたのが始まりらしい。

辛さは6段階から選ぶことができ、中辛を選択した。麺はモチモチでさっぱりして美味しかった。

盛岡冷麺

平泉へ

午後は平泉へ向かう。13時過ぎの新幹線に乗って北上駅まで向かい、東北本線に乗り換えて平泉駅を目指す。1時間ほどで到着した。

平泉には中尊寺をはじめ、毛越寺や無量光院跡など観光地がいくつかあるがそれぞれが少し離れた位置にある。そこで、駅前のレンタルサイクル屋で自転車を借りることにした。4時間で700円、最終返却時刻は17時。

寺院や史跡も回りたかったが、平泉文化遺産センターや世界遺産ガイダンスセンターにも寄って展示や資料を見たい。施設が16時半ごろに閉館するらしいのでまずは寺院・史跡を見て回ることにした。

平泉駅

毛越寺

最初に訪れたのは毛越寺。駅からまっすぐ自転車を走らせると3分くらいで着いた。毛越寺は慈覚大師円仁が平安時代に開いた寺で、白鹿伝説が有名。

拝観料は700円。本堂にも上がることができ、本尊の薬師如来蔵を拝むことができた。本尊の横でお坊さんがPCとタブレットを使って仕事をしているのが印象的だった。

毛越寺

浄土庭園の周りも歩いて回ることができる。極楽浄土への往生を願う当時の人々に想いを馳せる、ということをしたかったが時間は14時過ぎと暑くて暑くて溶けてなくなりそうだった。

毛越寺庭園

寺院内には宝物殿があり、資料の展示を見ることができた。撮影は禁止。

中尊寺

毛越寺から金鶏山に沿って北へ5分ほど自転車を走らせると中尊寺の入り口に着いた。

中尊寺入り口

中尊寺は標高130mくらいの場所に位置し、参道を登っていく必要がある。それが月見坂。参道沿いには樹齢のありそうな杉が並んでおり、本堂までにいくつか堂があった。

中尊寺への道

やっと中尊寺本堂前に着いた。汗がダクダクだった。

中尊寺門

本堂には本尊の釈迦如来が置かれている。目の前まで拝むことができ、かなり大きく神秘的だった。

中尊寺

いよいよ金色堂。拝観料は800円。セットで宝物殿も入ることができる。

教科書でよく見る画角から覆堂を見ることができた。今回初めて知ったが、これは金色堂ではなく覆堂であり、この中に金色堂が覆われている。

中の金色堂は内部はもちろん壁や軒まで金箔が貼られており、奥州藤原氏の財力なのか極楽往生への必死さなのかが垣間見えた。なお金色堂は撮影禁止。

中尊寺覆堂

このあと宝物殿の方にも行ってみた。中尊寺にまつわる多数の資料の展示がされており、とても興味深かった。ここも撮影は禁止。

中尊寺境内内はとにかく古く、金色堂以外の堂も歴史があって見応えがあった。

無量光院跡

中尊寺を出たときには16時半になっていた。資料館には間に合いそうになく、自転車も返す必要があったので駅へ向かった。その途中に無量光院跡をのぞいてみるつもりだった。

跡という名前の通りで建物などは何もなかった。田舎の風景の一部のため池かと思って通り過ぎるところだった。それほどに何もなかった。

松尾芭蕉は平泉の地で有名な「夏草や〜」の句を残しており、毛越寺・中尊寺を回っていた際はあまり共感する部分はなかったが、この場所では強く共感した。無量光院は奥州藤原氏三代の秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院だったが、今は何もなくなってしまったが人の世の儚さがそこにあった。

もっとも、芭蕉が上記の句を残したのは無量光院跡の近くにある高舘義経堂だったはずだが。

無量光院跡

平泉世界遺産ガイダンスセンターは17時閉館なので10分でも中を見ようと思って寄ってみたが、16時半が最終入場では入れなかった。そのまま駅に戻り、自転車を返却した。

平泉世界遺産ガイダンスセンター

一関へ

宿は平泉から南2駅先にある一関駅でとった。当日朝でも予約がとれて一泊素泊り6,700円。

17時半前に一関駅に到着した。宿や飲み屋がいくつかあり、旅行客らしい人もちらほら見かけた。

一関駅

チェックインしてしばらく休み、近くの居酒屋で夕食をとった。夕食後は宿でのんびりした。これまで東北の夜は祭りに参加し通しだったので久々にのんびりとした夜だった。

総括

午前は盛岡、午後は平泉の歴史と文化に触れ大いに精神を豊かにすることができたが強行軍と暑さで身体はクタクタとなった。

明日は一関から東に向かい気仙沼を訪ねる予定。


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